小太郎日記

Posted on 2015-09-11
タウンニュース(地域情報誌)に掲載頂きました

A000483280_01【人物風土記】
ユーモアを交えた会話、張りのある声、そして天真爛漫な笑顔と美しさ…。「お化粧品が良いからですよ」。明るさが一番のセールスポイントという。「13年間とても大切にしていただきました」。世話になった置屋ゆき乃恵(中町)を離れ、新たな看板を掲げた。「一緒にやっていく仲間を抱えられる。若い人に伝えていきたい」。舞台にあがり三味線などの調べにあわせ優雅に舞う。市内に20人程いる芸妓衆の1人だ。
  生まれは宮城県気仙沼市。実家は震災で大きな被害を受け、今も仮設住宅暮らしという。
母親の影響で3歳のときから花柳流(はなやぎりゅう)の日本舞踊を始めた。大学進学を機に上京。学生時代は紅白歌合戦で、北島三郎さんのステージの踊り子の1人として出演したこともあるそう。「青山のOL」に憧れ一般企業に就職するも、思うように稽古の時間が持てず半年で退職。そんな時、テレビで「東(あづま)をどり」を見て「芸者さんだ!」と気が付き、踊りを仕事にすることを考えた。当時住んでいた調布に近い「八王子」の花柳界(かりゅうかい)へ問い合わせた。
「美しさに衝撃。一緒に働きたいと思いました」。
ゆき乃恵の家主、恵(めぐみ)さんは今でも「お母さん」の存在。「一緒にがんばりましょう」の一言で芸妓の道を決意した。「花柳界の踊り」を「うつさせてもらい(教えてもらい)」、すぐにお座敷へ。会話、お酌の仕方などは宴の中で覚えた。今も踊り、三味線、お茶の修業は続く。
今年の夏休みは実家でわんこそばを食べながらテレビで高校野球を見ていたそう。プライベートは「普通の生活」と言うが、着物を脱いでも芸妓である身なり、振る舞いを忘れない。
お座敷はひと月に20〜25程度。1月、2月は休みなし。辛い経験は何度もしてきたが、踊りをやめようと思ったことは一度もない。「『また来るね』と言われるのがこの仕事のやりがいです」。今夜も誰かがその踊りと笑顔を楽しみにしている。
<タウンニュース八王子版:2015年9月10日号>
http://www.townnews.co.jp/0305/i/2015/09/10/299145.html

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