色褪せず紡がれるは
歴史が織りなす華やかな藝
初めまして。
八王子で置屋(おきや)「菊よし」の女将をしております小太郎(こたろう)と申します。
ご宴席やお座敷などでお客様へおもてなしさせて頂き、技藝を御目にかけるべく日々芸道に精進しております。
当サイトをご覧になり、八王子花柳界や芸者さんのお仕事について少しでもご興味をお持ちいただけたら嬉しいです。
2003年(平成15年)6月から、置屋『ゆき乃恵』に所属させて頂きました。
芸者さんになろうと思ったきっかけは、一般企業に就職をしましたが、幼少より日本舞踊を習っておりまして、踊る事が大好きで、好きな事を活かせるお仕事、私の興味ある事が沢山ぎゅっと濃縮して詰まっている世界が花柳界という場所でした。
当時の私には花柳界は未知な世界で、大変不安だらけでしたが、置屋のお母さんの容姿、仕草の綺麗さの中に生き方を感じて、不安が安心へ変わった自分の気持ちを今も覚えております。
2015年(平成27年)3月に『菊よし』という置屋を持たせて頂きました。
お稽古事を大切にする置屋でありたいと思っております。お稽古事はいくつかございますが、沢山のお稽古事から自分を育てていくのも良いですし、自分が好きだと感じるお稽古一つから深掘りして自分を育てていくのも良いと思います。それがお仕事でのお客様へのおもてなしに通じていくと思っております。
八王子花柳界(かりゅうかい)のはじまりは、江戸時代に甲州街道の宿場町として栄え、明治以降に織物の町として発展していったことにあるとされています。
明治初期に、八王子三業組合(料亭・待合い・置屋)が発足し、花街(かがい)として繁栄していきました。
明治40年頃には、約250名程の芸妓が在籍。
大正時代には、215名の芸妓が在籍。
昭和の戦後には、衣料不足により、八王子の織物産業が好景気となり、織物の業界と共に花柳界も栄え、昭和25年には135名が在籍していたそうでございます。その後、日本の高度経済成長に伴い、外国の文化が沢山入ってくるようになりますと、取り残されてしまった文化になってしまい、昭和40年代を境に芸妓の数は減少していきました。
近年では地域の方々の多大なご協力のお陰で徐々に活気を取り戻し、お座敷だけではなく地域の色々なイベントにも積極的に参加し、技芸を披露しております。
昭和22年(終戦の2年後)
日本舞踊のお勉強会、料亭伊奈喜にて
八王子花柳会では年間を通して様々な行事・イベントに参加しております。
八王子芸者衆の日頃のお稽古を発表する会。
3年に1度の開催。
毎年「お正月」と夏の「八王子まつり」の時に野外(中町公園)でご披露させて頂いております。
毎年、節分の日の高尾山恒例のイベントに参加させて頂いております。
2月に行われる八王子花柳界のお化け(厄祓い)イベント。
普段の姿ではなく、趣向をこらした仮装をして楽しみます。
毎年、色々なイベントに参加させて頂いております。
見番(八王子三業組合)にて、夏の風物詩朝顔の販売。
芸者さんが主催するビアガーデンです。
八王子まつりで各町会の山車と共に、中町々会の山車の後を芸者衆が、三味線・笛・太鼓・当り鉦などを演奏しながら街を練り歩きます。
八王子まつりで、芸者衆が手古舞の支度で、八王子三業組合の纏と木遣りでにわか山車を先導します。
八王子市内の小・中学校を訪問させて頂き、八王子花柳界の歴史や文化を知って頂く取組みをさせて頂いております。
色々なジャンルのアーティストの方々とコラボレーションをさせて頂いております。
2月、見番のお稲荷さんのお祭りです。
11月、市守・大鳥神社の大鳥祭。
1年を通して、他にも様々な事に参加させて頂いておりますが、主な活動をご紹介させて頂きました。
当ホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
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